大和魂をもった日系二世弁護士

2017-09-11

日系二世弁護士が日米間の橋渡し役として日本を救ってくれた
ことを書いた書籍が出版されています。

「日本株式会社の顧問弁護士」~村瀬二郎の「二つの祖国」~
児玉博著 (文春新書)

▼まずはプロローグの一部を共有しましょう
時は過ぎた。生前、村瀬が想像もしなかったであろう大統領が誕生した。
「日本はアメリカに大きな船でたくさんの車を輸出している。不公平だ」

まるで1980年代にタイムスリップしたかのようだ。
こうしたスタイルの大統領を知らない日本政府、業界は戸惑いを隠さない。

そして、我々は思い出す。
かつて「日本株式会社の顧問弁護士」として困難な米国との交渉を
引き受けてくれていた村瀬二郎という弁護士を。

▼ビジネス界だけでなく、日米政府間交渉にも多大な功績
1960年代の繊維を皮切りに、
1970年代には鉄鋼製品・カラーテレビ・工作機械・ベアリング
さらに 1980年代以降には半導体、自動車
など、日米間で貿易摩擦が起こりました。

1960年代というとあのSONYが初めて米国へ進出した頃です。
村瀬弁護士は、日本企業にとってはかけがえのない存在でした。

ビジネス界へのサポートだけでなく、
1960年代の繊維交渉を皮切りに日米間でおきた貿易摩擦でも
村瀬弁護士が日米政府間の橋渡しをされました。

数年前のTVドラマ「官僚たちの夏」(TBS日曜劇場)のように
通産省の官僚が政府間交渉の日本側代表として矢面に立ち、
日本の発展に大いに貢献しましたが、
村瀬弁護士はこのような日米官僚への橋渡しもされていました。

▼東芝機械がソ連へ工作機械を不正輸出した「東芝ココム事件」
現在の輸出CP制度になる前のココム規制の東西冷戦の時代のこと。
日米間で大きな政治課題となり、日本製品不買運動にも発展した際にも、
村瀬弁護士が日米政府間の橋渡しをされました。

日系二世として米国NewYorkで生まれたが、戦争をはさんで日本で育ったことで
「大和魂」をもった米国人弁護士として活躍されました。
米国流の考え方「公平・公正」と日本流の考え方との調整といったむずかしい
橋渡し役をされた功績に感謝したいと思います。

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